2006年03月26日(日)
医師の倫理 [診察室より]
富山の市民病院で、外科部長が終末期患者の人工呼吸器を外した行為について、安楽死か尊厳死か、それとも事件なのかという問題が出ていました。
私も大学病院では、ガン患者さんを担当することが多かったので、その時の経験をもとに一言いわせていただきます。
まず、治療の経過から考えてもらいます。苦しんでいる患者さんに対して、人工呼吸器を装着すれば、すぐに呼吸が楽になりますから、本人も家族も大喜びします。この時点では、本人もまだ生きる希望が残っています。
しかし、ガンはだんだん進行していきます。痛みや様々な苦痛が本人に襲いかかります。この時点で、本人の意思表示はほとんど出来なくなります。家族もこの様な状態が1ヶ月も続くと、それぞれの仕事・家庭にさまざまな問題が発生します。当然、意見の違いが出てきて、一枚岩ではなくなります。
さあ、こうなった時点で、誰がどのようにして、人工呼吸器を外す提案をするのでしょうか。よく考えてみて下さい。
医者の立場からすれば、家族全員が納得して、医者に書面で以て意思表示をしていただけば、一番助かります。しかし、家族の中でその役目を担うのは誰でしょうか?
損な役目を引き受けるのはイヤですから、思っていてもほとんど言い出す人はいません。その間も、患者さんの苦しみは続くのです。患者さんはヘビの生殺し状態ですが、それでも臨終を迎えるまで生きなければならないのです。この事にどれだけの価値があるのでしょうか?よく考えていただきたいと思います。
診察中に患者さんと、この時について話をすることがあります。すると、多くの人は私は延命治療を希望しない、人工呼吸器など装着しないでほしいと言いますが、自分の身内が苦しんでいたとすると、人工呼吸器を着けて楽にしてやってほしいと言います。このように、人間は立場立場で意見や考え方が変化するものなのです。
この問題を法律をもって対応出来るようにしていただけば、多くのお医者さんは、現場で悩まなくてもよくなりますから、国会議員の先生方も、オッチョコチョイ議員のメール懲罰などいいかげんにして、この問題に何らかの解決を与えて欲しいと思います。それが出来ないのなら、医師の倫理にゆだねるとしておく方が現実的と思います。
私はこの外科部長の取られた態度は、立派であると判断します。一番心配することは、問題が大きくなって、この立派な先生が医者に嫌気がさして、医者そのものをやめてしまう、ということにならないように、ということです。
Posted by 福田金壽 at 15時00分
コメント
知り合いの高齢のお母様が末期癌でホスピス療養中なのですが、ガリガリに痩せてしまわれたようなのです。家族に看取られながら日々、生きておられるようなのです。他人ごとではないですが、まだまだ、長生きしてもらおうと、家族が付き添っておられるようです。そばに信頼できる家族がいるのは、心強いのでしょうね。
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