隠居医者の独り言

フクタ皮フ科院長の「独断と偏見」によるブログです。

2010年02月12日(金)

病気腎移植 [診察室より]

週刊朝日2/19号、『知って得する!新・名医の最新治療』で、病気腎移植についての記事が掲載されていました。病気腎移植が問題になったのは3年位前のことで、当時は病気腎移植なんてとんでもないという論調でマスコミに取り上げられました。

私は初めから、執刀医の万波先生は正しいと思っていました。当時はそれが移植学会の中では認められず、中止となってしまいましたが、その後はどうなって行くのかと、素人ながら気にして見ていました。今回、この病気腎移植が再開されたそうです。これは患者さんにとっても、日本の医療にとっても、大変喜ばしいことと思っています。

この記事の中に触れていない話で、ひとつ気になる事があります。それは、移植された腎臓の多くは、10年位で再度機能不全に陥るという事です。これは、生体腎移植であっても、病気腎移植であっても、同じだというわけです。

私の従兄弟も、10年ほど前に母親から生体腎移植を受けましたが、昨年から移植された腎臓が機能を失い、再度透析を受けなければならない状態になりました。この移植された腎臓のことを思うと、病気腎移植はもっと積極的に行われるべき治療と思います。

Posted by 福田金壽 at 12時34分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 2 )

2008年10月11日(土)

すい臓癌の友人(完結・5/5) [診察室より]

平成19年6月から12月までは、すい臓癌発見から死に至るまでの2年間のうちで、精神的にも肉体的にも充実した期間のようでした。言い忘れていましたが、1回目の手術後からは、彼の性格に大きな変化が見られました。それまでは、他人を傷つけないように気を使う所が多々見られたのですが、この頃からYES、NOを明快に表に出すようになって、いわゆるキレが良くなったなと私は感じていました。この事を本人に告げると、「さすがにメシが食えなくなって、手術するしかない状況に追い込まれて、手術して腹の中全体にガンが散らばっているよと告げられれば、開き直るしかないでしょ!」と笑いながら教えてくれたのを、私は忘れることができません。

この頃、私は彼に体力をつけさせることが肝心だと思っていましたので、よく彼を近所の鳩吹山に誘っていました。その結果、12月には河口湖マラソン(10km)を完走するまでに回復していました。この体力回復と、腫瘍マーカーの低下は、故人も生前、夢を見ているような気持ちであったと述べていると同時に、私も医者として、すごいことが現実に起こることがあるのだなと思い、このままどんどん良くなることを期待していました。

この時点で学んだ事(故人の教え)
@ 早寝早起きに徹する事
A 朝ご飯はしっかり食べる事(ヨーグルトとパイナップルは必ず食べる)
B 体力作りを兼ねて犬の散歩を必ずする事
C @〜Bが終わったら、家の中でゴロゴロしていないで、自分の好きな事をする
以上、4点だそうです。

これを聞くと、昔の養生訓に書いてあることのようですが、これが現代人にはなかなかできなくて、病に冒されて行くのだなと思いました。何事も基本が大切なのです。

平成20年1月になると、この腫瘍マーカーの値が、反転して上昇に転じるのです。それでも3月頃までは、お腹の様子も目立って悪くはなかったようです。4月頃からは、お腹の張りが強くなり、はた目にも元気がなくなって行く様子が手に取るようにわかるようになりました。

6月には、2度目のバイパス手術を受けることになります。このときの開腹時の所見としては、肝臓にも癌細胞の転移が肉眼でも確認できたそうです。ほどなく退院することになりましたが、やはり以前とは違って、気力がなくなっていることは、多くの友人が感じていました。故人はこの頃、「お腹の調子がいつ悪くなるかわからないから、外出することができない」と嘆いていました。

そうこうしている間に、8月に入って、3回目のバイパス手術を受けなければならなくなってしまい、手術は成功したものの、そのまま体力は回復することなく、9月13日を迎えることとなりました。

この2年間の彼のすい臓癌との戦いを見てきて、私は医者として癌患者を診る立場は何度も経験したことがありましたが、友人として患者側に立って癌患者を経験することができたと思います。そこから多くの貴重な経験を得ることができ、人間は生活態度や考え方が変わると、実に様々なことが変わってくるのだということを、身をもって教えてくれた友人には、大変感謝をしております。

この経験を生かして、私自身の今後の生活および、開業医として多くの患者さんの役に立たせていただければ、と考えている次第です。

Posted by 福田金壽 at 21時38分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

すい臓癌の友人(完結・4/5) [診察室より]

手術後の回復は至って早く、術後2週間で退院して日常生活を始めました。この頃から、彼は自分の生きてきた証となるものを残したいと言って、絵画教室へ通い油絵を描き始めました。最初の頃は、1時間も絵筆を持っていると、精神的にも肉体的にもクタクタになってしまうと、愚痴ともつかない事を言っていましたが、数週間もすると、ほとんど毎日楽しそうに絵画教室に通い、数時間絵筆を握るのが日課となっていました。この楽しく過ごした時間が、彼の癌との戦いの中で、良い結果をもたらしたのでしょう。

仕事を辞めて、仕事上のストレスがなくなったことと、その空いた時間を絵画教室で、病気のことも忘れて楽しく過ごしたことは、癌治療にとってクルマの両輪の関係にあると思います。その結果でしょう。第1回目のバイパス手術が終わった直後から、すい臓癌の腫瘍マーカーの値が毎月下がって行ったのです。

主治医からは、「癌細胞にはメスは入っていません。通過障害のある部分のバイパスを行っただけです。しかし、小腸全体にカビのように癌細胞が飛び散っています。」と言われたことを、彼は私に教えてくれていました。それが、手術直後の6月には261の高値を示していたものが、毎月減少して行って、半年後の12月には79まで下がっていたのです。これには本人もたいそう気を良くして、「この結果には主治医も驚いているんだわ」と嬉しそうに言っていました。

腫瘍マーカーは、あくまでも癌細胞の勢いを示すものです。この間は彼自身の免疫系が活発に働いて、癌細胞と戦った結果であろうと推測します。

(正常値37以下)
腫瘍マーカーCA19-9
平成18年 9月 すい臓癌の精密検査始まる
10月 445
11月
12月 某大学病院外科入院
平成19年 1月 410
2月 抗癌剤の薬疹起きる
3月 170 石垣島へ旅行する
4月 165 癌性腸閉塞で緊急入院する
5月 1回目バイパス手術を受ける
6月 261 絵画教室にて油絵作製を始める
7月 187
8月 117
9月 97
10月 82
11月 77
12月 79 河口湖マラソンで10km完走
平成20年 1月 124
2月 113
3月 259
4月 367
5月
6月 2回目バイパス手術を受ける
7月
8月 3回目バイパス手術を受ける
9月 死亡

この頃、私は、彼が最初に入院した某大学病院の教授先生がおっしゃった、このすい臓癌は10年位前からあったでしょう、という言葉が気になっていました。このように免疫系がうまく機能すれば、早期の癌なんか消えてなくなってしまうのだろうな、と考えていたのです。

Posted by 福田金壽 at 18時11分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

すい臓癌の友人(完結・3/5) [診察室より]

彼が医者巡りをしている間に、数ヶ月の月日は瞬く間に過ぎて行きました。結局彼の出した結論は、某大学病院で、術前に放射線治療と抗癌剤治療の併用療法を受けて、癌をある程度たたいておいてから、その後に根治手術を行うという治療法を選択したのでした。

18年12月、某大学病院に入院して、この治療を開始することになりました。まず最初は放射線治療に始まり、途中からすい臓癌に対して有効性の高いとされる抗癌剤(ジェムザール)の注射が追加されて行きます。ここで問題が発生したのです。抗癌剤に対して、全身の発疹ならびに吐き気、嘔吐が強く、いわゆる薬疹が出てしまったのです。この段階で、すい臓癌にただ1つ有効とされる抗癌剤が、使えないことが判明してしまいました。

その結果、放射線治療だけを受けて、平成19年2月に一時退院することになりました。それまでは、最先端の西洋医学をもって自身の癌と戦おうと考えていた彼は、その戦いが出来なくなったことに、相当落ち込んでいたようでした。私は彼を励ます意味も込めて、「神様が手術をしない方が良いと伝えるために、薬疹を起こして教えてくれたのかもしれないよ」と言っていましたが、彼にこの言葉がどのように伝わったかは、今は想像するしかありません。

一時退院が決まったとき、彼は教授に、「私の癌はいつ頃から出来たのでしょうか?」と尋ねてみたそうです。その答えは、「たぶん10年位前から出来始めて、徐々に進行して現在に至ったのでしょう」だったということを、私に伝えてくれたことが思い出されます。

話は変わりますが、彼の仕事についても書き記しておきます。彼は大学の獣医学部を卒業して、主に牛の飼料関係の仕事を独立して家業としていました。私は以前から、彼を通して日本の酪農の現状やら、農家の憤りを耳にしていました。そんな事もあって、彼はすい臓癌と診断されてから、わずか1ヶ月という短期間で、誰にも迷惑を掛けないように、自分の家業にピリオドを打ったのでした。これに関しては、彼の取った行動は立派であり、その後の癌治療の上でも、良い結果をもたらしたものと、私なりに信じています。何の前触れもなく職責を放り出した、どこかの国の総理大臣とは大違いです。

結局、平成19年2月に、手術することなく某大学病院を退院して、その後は月1回の通院治療を受けていました。19年3月には、彼が好きだった石垣島を一緒に旅行しましたが、今から思い返せばその頃は、やがて来る一度目の手術(癌性腸閉塞によるバイパス手術)を控えて、腸の調子も思わしくなく、何となく体調が良くないのがはた目にもわかりました。

19年4月、石垣島から帰った後も、腹部膨満感、しぶり腹を繰り返し、体調不良は続いていました。腸閉塞による腹痛がひどく、連休前に緊急入院となり、5月の連休後に第1回目のバイパス手術を受けることになりました。

Posted by 福田金壽 at 17時13分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

すい臓癌の友人(完結・2/5) [診察室より]

そこで私にも、どうしたら良いだろうかと相談が持ちかけられました。私の知るところによると、癌にも1個の塊として存在して周囲へ浸潤しにくいものと、すい臓癌のように腺腔構造を作ってくもの巣のように周囲へ拡がりやすいものと、2種類あるのですが、腺腔構造のものは進行も速く転移しやすいのです。充分切り取ったつもりでも、取り切れていなくて再発することも多く、痛い思いを経験させられた上に、すい臓癌で亡くなった患者さんも数人は見てきたものですから、彼には以下の如く伝えることにしました。

「もし自分がすい臓癌で、あなたのステージまで進行していたとしたら、抗癌剤・放射線治療は受けるかもしれないが、手術療法は受けない。その代わりと言っては何だが、すい臓癌を受け入れて、残りの人生を楽しく過ごすことに全力を傾ける。」

この意見については、ある病院の院長先生だった実兄が、すい臓癌で手術を受けて半年後に亡くなったという経験を持つ、彼の友達も私と同じ意見であったそうです。

話はもう一度、精密検査を受けた病院にまで戻ります。そこですぐに外科に転科して、手術を受けるように勧められましたが、彼はその検査結果を携えて、様々な手づるを使って、色々な大学病院、がんセンターと、ドクターショッピングをするのでした。これについては、もし私が彼の立場であったとしても、やはり同じことをしただろうかなと思って見ていました。

それと同時に、インターネットを使って、猛烈にすい臓癌について勉強を始めたのです。現在、日本ではインターネットが普及していて、誰でも手軽にどんな病気についても、知識を得ることができます。しかし、病気の知識(治療・予後)を得ることができても、知れば知るほど、反対に恐怖が生まれてくるのも事実のようです。このとき私は、病気を受け入れて生きて行くという事に、早く気付いてくれればいいのになと、勝手な思いをしながら、ただ見守ることしかできませんでした。

その頃、同時に彼は、占いバアさんの所へも通い始めました。この占いバアさんを紹介したのも、実は私なのです。前にも述べた通り、私はすい臓癌に対しては、手術は受けない方が良いとの考えを持っていました。以前にも訪ねたこの占いバアさんを、私はある程度信用していたので、彼女が何と答えるだろうかという興味もあり、彼を伴って見てもらったのです。

彼女は自信を持って、「大丈夫!手術はしない方がいいよ!」と答えました。これには医者として多少ビックリしましたが、その後、彼は不安になる度に、この一言を聞きに占いバアさんのもとを訪ねていたようです。これには私も少し心配になって、どうして何回も占いバアさんを訪ねるのかを、彼に聞いてみたことがあります。

「だって、よく考えてみな! どこの医者へ行っても、進行性のすい臓癌は予後が良くないよ、手術も難しいよ、と散々言われて、その揚げ句、手術を勧められても、へこむばかりじゃないの! このバアさんだけが、大丈夫!と言ってくれる。この一言が聞きたくて、遠いけど占いバアさんの所へ行くのよ。」

そう言われたときは、なるほどと納得して、自分の医者としての傲慢さを思い知らされました。医者は、医学部・病院で教えられた通り、癌は早期発見、早期治療が大切です、これを金科玉条の如く掲げて患者に対するわけですが、患者側に立って考えてみれば、癌患者は早期癌の患者ばかりではないのです。彼のように、進行癌、難治性癌の患者さんも、現実にはたくさんおられるのです。そんな患者さんに対しては、西洋医学ではお手上げ状態になり、日本の医療体制の中では、必然的に放り出してしまうような形になるのも現実です。しかし、それでは患者さんは救われません。

Posted by 福田金壽 at 15時43分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

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福田金壽

生まれ故郷の江南市布袋町で、皮膚科医院を昭和57年に開業しました。その間、数多くの人々の所謂「生老病死」に医者として関わってきました。
私なりの「独断と偏見」の人生観が出来上がってきたようですので、隠居医者の独り言として、記録に残してみようと思います。

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