隠居医者の独り言

フクタ皮フ科院長の「独断と偏見」によるブログです。

2005年10月30日(日)

収穫の秋 [閑話]

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私の趣味のひとつの里芋作りです。40坪ばかりの田んぼに、里芋を作っています。近所のおばあちゃんが先生で、色々教えてもらっています。

冬の間、連作による収量減少を防ぐため、小ぬかや肥料をまき、土壌改善をします。5月には種芋を植えて、追加肥料を数回まいて、草取りは2〜3週間に一度してきました。10月22日、最初の芋掘りをしました。12月頃まで、数回に分けて芋掘りをする予定です。

それにしても気になるのは、周囲の田んぼが三面すべて耕作放棄状態ということです。お米作りの後継者がいなくなってしまったのです。ここ数年、こんな田んぼが近所でも目立つ状態になってきました。

今後、お米の輸入関税が更に引き下げられる予定だそうです。そうなれば、輸入米と日本産米との価格差が大きくなり、都市近郊農業地帯のお米作りは、壊滅状態になると言われています。日本の食料受給率は、ついに40%を割ってしまったと聞いていますので、これから先、色々な問題が発生するのではないか、とひそかに憂慮しています。

しかし、隠居じじいがとろいことを考えて、御託を並べてもしょうがないので、グローバル経済の難しい問題は、日本国の優秀な官僚の皆さんと、立派な政治家の先生方にお任せすることにしようと思います。とりあえず、自分の責任だけは全うしようと、健康管理を第一として、体を動かして芋作りを楽しんでいます。

Posted by 福田金壽 at 17時30分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2005年10月29日(土)

結果報告その1 [健康管理]

歩くだけで重度糖尿病のコントロールは可能か?

前に述べた条件のもとで、運動療法が始まりました。場所は、愛知県犬山市の寂光院から、岐阜県可児市の鳩吹山まで連なる東海自然歩道です。ここを運動療法の場所に選らんだ理由は、標高250m〜330m位の山々が連なって、その尾根づたいに散策道が整備されていて、色々な場所から入山、下山が可能で、体力に合わせて選択できること。自然歩道は広葉樹林に囲まれて、鳥の鳴く声、肌で感じる風がたいへん気持ち良く、空気もおいしく、登り下りが適当にあって、運動療法に最適な場所と判断したためであります。

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最初は、本人も糖尿病で筋力低下が著しく、少しの坂道でも足が止まってしまう状態でしたが、良く頑張って歩いたと、傍で見ていても少々気の毒なほどでした。後日、本人から聞いた話によると、始めは薬を飲んだり食事制限もしていたようですが、始めて2週間ぐらいで、腹が減って運動が出来なくなったことと、少し良くなってきている気がした為、「もうどうなってもいい」と開き直って、薬をやめて食事制限もやめたそうです。

本人から体調及び自覚症状(体重、おしっこの泡立ち等)を聞きながら、時々検査結果を見ながら進めてきました。結果については、下記のとおりです。

         2月初旬   3月31日   5月30日   (正常値)
血糖値(mg/dl)   475    234     107   (70〜100)
ヘモグロビンAIC(%)17.4    10.2     7.3   (4.3〜5.8)

しかし、彼には「この運動を中止して、夜更かしの生活をすれば、今度はすぐに糖尿病の洗礼を受けることになるよ。」とは告げて、乗りかかった船でもあり、自分の健康の為もあり、二人で運動療法を続けています。

そんなわけで、運動療法を開始して以来、それだけで彼は日常生活を満喫している状態です。私自身も、改めて自然治癒力を知らされる思いで、自分の常識の壁が破られる結果となりました。

Posted by 福田金壽 at 18時50分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2005年10月28日(金)

実験その1 [健康管理]

歩くだけで重度糖尿病のコントロールは可能か?

10月25日の「身体は正直」に書きましたように、自分自身の体験から、身をもって運動の大切さを知り、予防医学の重要性を再認識したわけであります。

平成17年2月に友人から、「知り合いが重度の糖尿病で、入院治療(インシュリン)を勧められているが、本人は入院したくないと言っている。何かいい手だてはないだろうか?」と尋ねられました。以前にも数回会って面識のある男性ですので、私は「運動療法だけでコントロールすることは可能だと思うけど、本人の体力とやる気が問題ですから、一度、運動できる服装で、昼休みにでも来るように伝えてチョーダイ!」という返事をしておきました。

本人は52歳男性。父親は50歳代で糖尿病にて死亡。死亡に至るまでに、低血糖発作を数度経験しています。

平成16年10月頃より、筋力低下、体重減少に始まり、平成17年2月までの4ヶ月間で、体重が6kg減少して、鏡に映った自分の姿にがく然として、病院を受診したところ、糖尿病(血糖値473mg/dl、ヘモグロビンAICは14.7の高値を示す)と診断されました。父親の体験もあり、治療内容、予後については想像できましたが、自分としてはどうしてもそうなりたくないという話でした。

私自身の経験から、身体の自然治癒力については信じていましたが、この重度糖尿病が運動療法だけでコントロールできるかどうかの自信はありません。医者としては軽率な発言かもしれませんが、本人にもそのことを告げて、「まあ結果については、やってみなわからんけど、3ヶ月間私も付き合うから、3ヶ月付き合ってちょうだい。3ヶ月やって良くならなかったら、入院すればいいじゃないの。」という前提で、運動療法を始めることにしました。

内容については、1週間4回、1回は1時間半から2時間、山歩きをする。たったそれだけです。食事制限なし。ただし、午前0時までには就寝して、朝8時までには起床すること。約束事はそれだけです。結果については、次回報告します。

Posted by 福田金壽 at 12時55分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2005年10月27日(木)

健康の秘訣 [診察室より]

外来診察中、患者さんと話をしていて気付くことですが、病気になった人の話を聞いていると、共通項が出てくるのです。1つは、会社・家からほとんど外へ出ない(車の中も同じ)、例えば、会社で残業ばかりしている、子供が部屋でパソコンやゲームばかりしている等。もう1つは、私はこうしなければいけないと、自分を叱咤激励して頑張っていることです。

しかし、人間の身体は、機械(人工物)ではないのです。生身の身体は、自然のものであります。うまくやろうという意識について行くことができなくなると、自分の身体の弱い部分に、病気という信号を出してくるのだろうと思います。

別な見方をすると、人間が使うものは、筋肉と頭脳(意識)なのですが、頭脳は前向きにエネルギーを使う場合(夢・希望・生き甲斐)と、後ろ向きにエネルギーを使う場合(不安・心配)の2つに分けられると思います。私は、前者を頭を使うと言い、後者は気を使うという言葉を使用します。

エネルギーを基準に考えれば、人間は筋肉を使用すること、頭を使うこと、気を使うこと、この3者に分散出来ます。病気になった人を観察していると、筋肉も頭も使用せず、ひたすら気を使って、うまくやろうと生活している人が多いようです。

結局、この逆をすればいいわけで、健康の秘訣は頭と筋肉を使って、気を使わないように生活することではないでしょうか。

Posted by 福田金壽 at 09時40分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2005年10月25日(火)

身体は正直 [健康管理]

50歳の頃、体重100kg超、血圧130mg/Hg、夏にはクーラー病の症状が出始めた為、知り合いの、漢方を主体に治療をしておられる先生に相談したところ、それは「養殖ハマチ」と同じだと診断されました。

このままではマズイ、将来は糖尿病から始まって、心筋梗塞のパターンだな、と感じていました。(祖父:糖尿病、父:心筋梗塞の既往歴あり)

そこで、50歳を契機に、人生リセットしてやりなおしと決めました。何をどのようにすると決めたかといいますと、食事・酒については今までどおり何の制限もしない。食いたいもの、飲みたい酒を、死ぬまで思いのまま楽しむ為にこの決意をしたのに、これを制限したのでは何の為かわからなくななります。

決めたことは、診察時間の合間に、1回1時間半程度の散歩をする。これを、1週間に最低4回以上する。たったこれだけなのです。近くの五條川の堤防が散歩道になっている為、ここを散歩することが多かったのですが、その日の気分により、色々散歩道は変えて散策を楽しみました。

すると、3ヶ月後頃で、体重も10kgほど減少して、血圧も正常域に戻ってきました。半年ほど続けた夏には、体重も15kg位減少して、クーラー病もなくなり、体調は非常に良くなりました。

この時点で、体はタイヘン正直だなと感じました。たった半年間運動をしただけで、これだけ変わるものだと、自分の体を通して実感したのです。

Posted by 福田金壽 at 10時14分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

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福田金壽

生まれ故郷の江南市布袋町で、皮膚科医院を昭和57年に開業しました。その間、数多くの人々の所謂「生老病死」に医者として関わってきました。
私なりの「独断と偏見」の人生観が出来上がってきたようですので、隠居医者の独り言として、記録に残してみようと思います。

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