隠居医者の独り言

フクタ皮フ科院長の「独断と偏見」によるブログです。

2009年02月27日(金)

第2回講演会のお知らせ [活動記録]

第2回 ピンピンシャンシャン生きてコロッと死ぬための講演会

各論 1)食事と運動

我々人間は毎日、蛋白質、炭水化物、脂肪の三大栄養素と各種ビタミン類と少量の塩類と水を摂取して、それを消化吸収しています。そしてそれらをエネルギー源として、空気中の酸素を利用して、筋肉を動かして毎日の生活を営んでいます。

このバランスが乱れて摂取カロリーが多くなりすぎると、最近よく言われるメタボリックシンドロームとなり、これが様々な病気(糖尿病、痛風等)の引き金になっていくことは、よく知られた事実です。

そこで、どんな食事をしてどんな運動をすればよいのか、みんなで考えてみませんか?

日時:平成21年2月28日(土) 17:00〜18:00
場所:布袋ふれあい会館 2F
参加費無料

Posted by 福田金壽 at 08時01分   パーマリンク

2008年12月01日(月)

第1回講演会のお知らせ [活動記録]

第1回 ピンピンシャンシャン生きてコロッと死ぬための講演会

総論

私も年齢が57歳を超えてしまいました。最近は“どうせ1回限りの人生、最後の目標は残りの人生をピンピンシャンシャン生きて、死ぬときはコロッと死ねたらいいな”と考えるようになりました。でもそれは、口で言うことは簡単ですが、実際にはなかなか難しいことと思います。

外来にて、たくさんの病気を通して様々な人生を察させて、色々参考になることがたくさんありました。それらについてお話しして、また皆さんのご意見を聞かせていただきたく、機会を作りたいと考えました。

お時間のある方はどうぞご参加ください。

日時:平成20年12月6日(土) 17:00〜18:00
場所:布袋ふれあい会館 2F
参加費無料

Posted by 福田金壽 at 08時15分   パーマリンク

2008年10月11日(土)

すい臓癌の友人(完結・5/5) [診察室より]

平成19年6月から12月までは、すい臓癌発見から死に至るまでの2年間のうちで、精神的にも肉体的にも充実した期間のようでした。言い忘れていましたが、1回目の手術後からは、彼の性格に大きな変化が見られました。それまでは、他人を傷つけないように気を使う所が多々見られたのですが、この頃からYES、NOを明快に表に出すようになって、いわゆるキレが良くなったなと私は感じていました。この事を本人に告げると、「さすがにメシが食えなくなって、手術するしかない状況に追い込まれて、手術して腹の中全体にガンが散らばっているよと告げられれば、開き直るしかないでしょ!」と笑いながら教えてくれたのを、私は忘れることができません。

この頃、私は彼に体力をつけさせることが肝心だと思っていましたので、よく彼を近所の鳩吹山に誘っていました。その結果、12月には河口湖マラソン(10km)を完走するまでに回復していました。この体力回復と、腫瘍マーカーの低下は、故人も生前、夢を見ているような気持ちであったと述べていると同時に、私も医者として、すごいことが現実に起こることがあるのだなと思い、このままどんどん良くなることを期待していました。

この時点で学んだ事(故人の教え)
@ 早寝早起きに徹する事
A 朝ご飯はしっかり食べる事(ヨーグルトとパイナップルは必ず食べる)
B 体力作りを兼ねて犬の散歩を必ずする事
C @〜Bが終わったら、家の中でゴロゴロしていないで、自分の好きな事をする
以上、4点だそうです。

これを聞くと、昔の養生訓に書いてあることのようですが、これが現代人にはなかなかできなくて、病に冒されて行くのだなと思いました。何事も基本が大切なのです。

平成20年1月になると、この腫瘍マーカーの値が、反転して上昇に転じるのです。それでも3月頃までは、お腹の様子も目立って悪くはなかったようです。4月頃からは、お腹の張りが強くなり、はた目にも元気がなくなって行く様子が手に取るようにわかるようになりました。

6月には、2度目のバイパス手術を受けることになります。このときの開腹時の所見としては、肝臓にも癌細胞の転移が肉眼でも確認できたそうです。ほどなく退院することになりましたが、やはり以前とは違って、気力がなくなっていることは、多くの友人が感じていました。故人はこの頃、「お腹の調子がいつ悪くなるかわからないから、外出することができない」と嘆いていました。

そうこうしている間に、8月に入って、3回目のバイパス手術を受けなければならなくなってしまい、手術は成功したものの、そのまま体力は回復することなく、9月13日を迎えることとなりました。

この2年間の彼のすい臓癌との戦いを見てきて、私は医者として癌患者を診る立場は何度も経験したことがありましたが、友人として患者側に立って癌患者を経験することができたと思います。そこから多くの貴重な経験を得ることができ、人間は生活態度や考え方が変わると、実に様々なことが変わってくるのだということを、身をもって教えてくれた友人には、大変感謝をしております。

この経験を生かして、私自身の今後の生活および、開業医として多くの患者さんの役に立たせていただければ、と考えている次第です。

Posted by 福田金壽 at 21時38分   パーマリンク

すい臓癌の友人(完結・4/5) [診察室より]

手術後の回復は至って早く、術後2週間で退院して日常生活を始めました。この頃から、彼は自分の生きてきた証となるものを残したいと言って、絵画教室へ通い油絵を描き始めました。最初の頃は、1時間も絵筆を持っていると、精神的にも肉体的にもクタクタになってしまうと、愚痴ともつかない事を言っていましたが、数週間もすると、ほとんど毎日楽しそうに絵画教室に通い、数時間絵筆を握るのが日課となっていました。この楽しく過ごした時間が、彼の癌との戦いの中で、良い結果をもたらしたのでしょう。

仕事を辞めて、仕事上のストレスがなくなったことと、その空いた時間を絵画教室で、病気のことも忘れて楽しく過ごしたことは、癌治療にとってクルマの両輪の関係にあると思います。その結果でしょう。第1回目のバイパス手術が終わった直後から、すい臓癌の腫瘍マーカーの値が毎月下がって行ったのです。

主治医からは、「癌細胞にはメスは入っていません。通過障害のある部分のバイパスを行っただけです。しかし、小腸全体にカビのように癌細胞が飛び散っています。」と言われたことを、彼は私に教えてくれていました。それが、手術直後の6月には261の高値を示していたものが、毎月減少して行って、半年後の12月には79まで下がっていたのです。これには本人もたいそう気を良くして、「この結果には主治医も驚いているんだわ」と嬉しそうに言っていました。

腫瘍マーカーは、あくまでも癌細胞の勢いを示すものです。この間は彼自身の免疫系が活発に働いて、癌細胞と戦った結果であろうと推測します。

(正常値37以下)
腫瘍マーカーCA19-9
平成18年 9月 すい臓癌の精密検査始まる
10月 445
11月
12月 某大学病院外科入院
平成19年 1月 410
2月 抗癌剤の薬疹起きる
3月 170 石垣島へ旅行する
4月 165 癌性腸閉塞で緊急入院する
5月 1回目バイパス手術を受ける
6月 261 絵画教室にて油絵作製を始める
7月 187
8月 117
9月 97
10月 82
11月 77
12月 79 河口湖マラソンで10km完走
平成20年 1月 124
2月 113
3月 259
4月 367
5月
6月 2回目バイパス手術を受ける
7月
8月 3回目バイパス手術を受ける
9月 死亡

この頃、私は、彼が最初に入院した某大学病院の教授先生がおっしゃった、このすい臓癌は10年位前からあったでしょう、という言葉が気になっていました。このように免疫系がうまく機能すれば、早期の癌なんか消えてなくなってしまうのだろうな、と考えていたのです。

Posted by 福田金壽 at 18時11分   パーマリンク

すい臓癌の友人(完結・3/5) [診察室より]

彼が医者巡りをしている間に、数ヶ月の月日は瞬く間に過ぎて行きました。結局彼の出した結論は、某大学病院で、術前に放射線治療と抗癌剤治療の併用療法を受けて、癌をある程度たたいておいてから、その後に根治手術を行うという治療法を選択したのでした。

18年12月、某大学病院に入院して、この治療を開始することになりました。まず最初は放射線治療に始まり、途中からすい臓癌に対して有効性の高いとされる抗癌剤(ジェムザール)の注射が追加されて行きます。ここで問題が発生したのです。抗癌剤に対して、全身の発疹ならびに吐き気、嘔吐が強く、いわゆる薬疹が出てしまったのです。この段階で、すい臓癌にただ1つ有効とされる抗癌剤が、使えないことが判明してしまいました。

その結果、放射線治療だけを受けて、平成19年2月に一時退院することになりました。それまでは、最先端の西洋医学をもって自身の癌と戦おうと考えていた彼は、その戦いが出来なくなったことに、相当落ち込んでいたようでした。私は彼を励ます意味も込めて、「神様が手術をしない方が良いと伝えるために、薬疹を起こして教えてくれたのかもしれないよ」と言っていましたが、彼にこの言葉がどのように伝わったかは、今は想像するしかありません。

一時退院が決まったとき、彼は教授に、「私の癌はいつ頃から出来たのでしょうか?」と尋ねてみたそうです。その答えは、「たぶん10年位前から出来始めて、徐々に進行して現在に至ったのでしょう」だったということを、私に伝えてくれたことが思い出されます。

話は変わりますが、彼の仕事についても書き記しておきます。彼は大学の獣医学部を卒業して、主に牛の飼料関係の仕事を独立して家業としていました。私は以前から、彼を通して日本の酪農の現状やら、農家の憤りを耳にしていました。そんな事もあって、彼はすい臓癌と診断されてから、わずか1ヶ月という短期間で、誰にも迷惑を掛けないように、自分の家業にピリオドを打ったのでした。これに関しては、彼の取った行動は立派であり、その後の癌治療の上でも、良い結果をもたらしたものと、私なりに信じています。何の前触れもなく職責を放り出した、どこかの国の総理大臣とは大違いです。

結局、平成19年2月に、手術することなく某大学病院を退院して、その後は月1回の通院治療を受けていました。19年3月には、彼が好きだった石垣島を一緒に旅行しましたが、今から思い返せばその頃は、やがて来る一度目の手術(癌性腸閉塞によるバイパス手術)を控えて、腸の調子も思わしくなく、何となく体調が良くないのがはた目にもわかりました。

19年4月、石垣島から帰った後も、腹部膨満感、しぶり腹を繰り返し、体調不良は続いていました。腸閉塞による腹痛がひどく、連休前に緊急入院となり、5月の連休後に第1回目のバイパス手術を受けることになりました。

Posted by 福田金壽 at 17時13分   パーマリンク

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院長

福田金壽

生まれ故郷の江南市布袋町で、皮膚科医院を昭和57年に開業しました。その間、数多くの人々の所謂「生老病死」に医者として関わってきました。
私なりの「独断と偏見」の人生観が出来上がってきたようですので、隠居医者の独り言として、記録に残してみようと思います。

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