い や す 力

身近のこと(夢とは)

総本山知恩院発行『知恩』平成七年十月号に寄稿したものです。

「先生、私の髪の毛、もう元に戻らないんでしょうか」

毛髪に悩みを持つ患者さんの治療は、なかなか難しい。相手が若い、それも脱毛症を抱えた女性であればなおさらである。

たまたまその日は、患者さんの数も少なく、心に余裕があった。私はまず、円形脱毛症について一般的な医学知識を、かたち通りに説明した。さらに、治療が難しいことをストレートに告げたあと、最も大切なひと言を投げかけた。

「どうしてこうなってしまったのか、一緒に原因を考えてみようよ」

この言葉をきっかけに、患者さんの涙が一度にせきを切った。思い当たる節は山ほどある。ずっと誰かに尋ねて欲しかったのだそうだ。

このような患者さんがみえた時、私の診療所では患者さんを個室に招き、経験豊かで人間的にやさしい看護婦に、ゆっくり時間をかけて本音の部分を聞き出してもらっている。

患者さん(以下、A子さんとする)の話は、だいたい次のようなことだった。

A子さんは、ある信用金庫のテラー(窓口係)として働いていた。毎朝、目が覚めるたびに、枕元に抜け毛が散らばっていることから、毛髪の変調に気付いた。自慢のロングへアを恐る恐るかき分けて、合わせ鏡で後頭部を調べてみた。そして思わず、大声をあげてしまった。十円玉大の抜け毛の跡が4つも見つかったのだった。近くの病院へ行ったり、総合病院へも通ってみた。でもだめだった。抜け毛は減るどころか、頭髪全体に広がって行くばかりだった。

A子さんは、テラーの仕事がいやになっていた。人と話すのがいやだった。定期預金やクレジットカードの勧誘業績を競う点数制度がいやだった。窓口を訪れた顔見知りの客を、そんな理由で引き留めるのがいやだった。なのに成績はといえば、いつもどういうわけかトップクラス。そんな自分がたまらなくいやだった。

さらに半年後には、8年越しの恋人と結婚式を挙げること。結婚後の生活には憧れもあるが、何かしらの不安もつきまとう。こんな悩みが、涙とともにせきを切った。

そんな看護婦とのやりとりを聞いたあと、私はA子さんとじっくり話し合った。

「多分、飲み薬や塗り薬では、治らないと思う。時々、ここへ話をしにいらっしゃい。心のよろいを脱ぎ捨てようよ。そうすればきっとよくなると思うよ。できればいやな仕事なんて、辞めちゃいなさいよ」

他人の人生について、よくそんなことが言えるなとは思う。だが、ここまでくればもう医者と患者との会話ではない。人間対人間の真剣なやり取りなのだ。

「話を聞いていただいて、すっきりしました。ありがとうございました。」

その夜、A子さんは私の言葉を真正面から受け入れて、すぐ辞表を出したと知らされた。そしてその後、1ヶ月程度はまだ少し抜け毛が続いたが、週に1、2回程度のドライアイス療法で、頭皮の刺激を続けてみた。彼女は毎週やって来てドライアイスをあてたあと、私としばらく世間話に興じ、そして帰っていった。そうするうちに、彼女の笑い声を聞くことが多くなり、頭全体にうぶ毛が生えてきて、今では結婚式を心待ちにしている。

「はげ頭を3分写真で残しておこうかしら。もう一生、こんな顔になることはないもんね」

彼女から、こんな言葉も聞かれるようになった。

円形脱毛症、アトピー性皮膚炎などの難治性疾患の患者さんと、診察室でじっくり話してみると、なぜか“頑張り屋さん”や、“いい子”が多い。プライドというよろいの重みに耐えかねて、体が悲鳴をあげているようである。現在、私の診療所では、4、5人の悪性円形脱毛症の患者さんを治療しているが、A子さんのように劇的な治癒経過をたどることは稀なことである。多くの場合、その症状は一進一退で推移する。中には治らないまま通院を中止された患者さんも多く、医師としての非力を感じている。

随分前置きが長くなってしまったが、私は皮膚科の開業医として、そして今までの人生を通して、思うところを書いてみたいと思う。

自分で言うのもなんなのだが、学生時代は運動会のヒーローだった。人一倍の運動神経がわざわいしてか、わがままで可愛げのないところもあり、学校の先生の手を随分わずらわせたと思っている。

小学校から大学まで、野球に夢中だった。そのおかげで、自分一人の力ではどうしようもないという、チームプレーの大切さが、ワンマンな性格の中にも次第に根付いていったのだと思う。

そんな私がどうして医者を志したかといえば、私自身の意思よりも母親の希望が強かったと思う。生家は商売をやっていたのだが、家の仕事を受け持つ母親は働き者で、外回りに走る父親は怠け者のように、子供の目には映ったものだった。働き者の母親を喜ばせようと、なんとなく医師の道をめざしたのだった。

こうして、曲がりなりにも医療に携わるようになってはや二十年。その間、社会の動きも様々だった。医師の目で見れば、病気は社会を映し出す鏡である。社会が歪むと一番の弱者にしわ寄せがいく。すべての病気のもとは、社会の歪みが原因となっているのではないだろうか。

今、社会は病んでいる。バブル経済が破綻して、その後始末としてクローズアップされている住専問題、老齢化社会を迎えて医療費の高騰ならびに年金制度の破綻、薬害エイズの問題での医師・厚生省・製薬会社の癒着、日米安保と沖縄米軍基地問題、役人のリストラと規制緩和等々・・・。これらの問題を考えると、第二次世界大戦後の目ざましい発展を遂げた日本がその早過ぎた発展のツケを迫られ、反省を促される時期がきているように思う。