抗 原 社 会

ステロイドからの離脱

総本山知恩院発行『知恩』平成八年二月号に寄稿したものです。

自宅の電話が鳴った。新年早々の、日曜日の朝だった。

「先生、お願い。何とかしてぇ」

なじみの患者のその声は、“お願い”というよりは、むしろ“叫び”と呼ぶにふさわしかった。

電話の主は、32歳の女性。看護学校の先生だった。成人後に、アトピー性の皮膚炎を発症し、ひどいかゆみやに発赤に、かれこれ10年も悩まされてきた。

もちろん看護婦の資格を持ち、医学の知識も豊富にある。それでも、副作用の危険性を承知の上で、速効性のあるステロイド治療を続けていた。そしてようやく昨年の夏、ステロイド剤からの“離脱”を決心し、水療法や転地療法など、薬と縁を切るための、試行錯誤に取り組んでいた。

現代の医学は、アトピー発症のメカニズムについて、まだ完全に明らかにはしていない。しかし、一般には、卵や牛乳などから摂取するタンパク質が引き金になったり、ダニやかび、ほこりといった“異物”を吸い込んだときに、起こりやすいとされている。

人間の体というやつは、外部から侵入しようとする“敵”と戦って、それを排除しようとする本能を持っている。免疫である。ほこりやかび、すなわち侵攻してくる“抗原”に対し、人体は“抗体”という防具を作って、応戦に出る。化学物質である“抗体”が皮膚にたまると、かゆみを伴う発疹ができることがある。これがアトピー性皮膚炎だと、いちおうの説明はできる。ところが、ここからがややこしい。

アトピーは、だれにでも起こりうる。発症するかしないかは、その人の皮膚が、どれだけの量の抗体に耐えられるかで決まる。そのハードルが、ストレスや別の化学物質などの影響を受けて低くなり、皮膚炎になりやすくなる。現代の社会は、仕事上のストレスや窒素酸化物など、アトピーの原因物質に満ちている。その上、人体はストレスという新手の外敵から、文字通り身を守るため、せっせと抗体を作り出す―――。

その患者は、准看護婦から看護婦、そして看護学校の教員と、より高い目標に向かって、コツコツと努力を重ねていくタイプの、“頑張りやさん”だった。ステロイドをやめられなかったのも、仕事を休みたくなかったからだ。

治りたい!!

しかし、仕事は休めない!!

そうした葛藤が、新たなストレスを呼び、治療を遅らせる―――そんな悪循環に陥っていたのだ。

そもそもステロイドとは、副腎という臓器が、血圧や脈拍の乱れを整えるために、分泌するホルモンである。これを皮膚の表面に塗ると、その代謝を促進し、炎症を起こした皮膚が、老化してはげ落ちるサイクルが早くなる。だから、早くかゆみも止まる。ところが、このステロイド剤にあまり頼り過ぎると、リバウンドと呼ばれる、激しい“禁断症状”が起きる。皮膚の表面がほてってかゆくなり、続いて猛烈なかゆみが襲い、じゅくじゅくと浸出液が出る。たまらなくなって、さらにステロイドを使う。使えば使うほど、リバウンドは強くなり、やがて当のステロイドさえ、効かなくなってしまう。麻薬のようなものである。彼女は、10年の歳月をかけ、ようやく仕事やキャリアを犠牲にしても、“麻薬”と縁を切る決心を固めたのだった。

夫が運転する乗用車で、診療所に運び込まれたその患者は、重度のリバウンドで、顔が真っ赤になっていた。そして、診察台に横たわるやいなや、手足をバタつかせながら、
「かゆいよぉ」
と泣きわめいた。ステロイドからの“離脱”に取りかかってから4ヶ月。最後の“大リバウンド”に違いなかった。今、医師としてできることはといえば、まずそばにいて背中をさすり、涙と鼻水をぬぐってあげることだけだった。

3時間がたった。彼女の動きが静かになった。顔や手は、真っ赤になったままだった。かき傷の跡も痛ましかった。しかし、表情は見違えるほど、優しくなっていた。その日、初めて目と目が合った。

「先生、落ちた」

彼女の両目から、子供のような笑みがこぼれた。

「もう、大丈夫!」

私は確信を込めて、そう告げた。

現代の社会は、目に見えぬ“抗原”に満ちている。その中で生き残るには、たった一人で、せっせと“抗体”を作り、心と体を守り抜かざるを得ない。そんな“頑張り”が、なおさら心身をさいなんでいるとも知らないで―――。

疲れたときは叫べばいい。寂しいときは頼ればいい。神ならぬ身のこの町医者にさえ、鼻水をぬぐうぐらいの慈悲はある。